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高松高等裁判所 昭和48年(ラ)40号 決定

抗告人 青木修(仮名)

被相続人 亡田坂小枝乃(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨および理由は、別紙(一)(二)に記載のとおりである。

よつて判断するに、一件記録によると、つぎの如き事実を認めることができる。すなわち、(1)本件被相続人田坂小枝乃(明治四一年一一月六日生)は、昭和四六年一月二二日高知市○○町△△番地の自宅において、原審判添付別紙目録記載のとおりの遺産(但し、右目録中、2の(1)の○○電力株式九〇〇株「額面四五、〇〇〇円」とあるは、「額面計四五〇、〇〇〇円」の誤記である)を残して死亡したが、当時既に同人の夫や両親等は死亡しており、他にその相続人はなかつたこと、(2)抗告人(明治三七年二月二三日生)は、高等小学校卒業後看護婦の見習をしたり、産婆学校に通つて、看護衛生の技術を身につけ、昭和一四年頃、当時の満鉄ハルビン鉄道局人事課の衛生婦としてハルビンに赴任したが、同地で従来から多少面識のあつた被相続人(その夫が当時ハルビン市に勤務)と出遇い、同県人ということもあつて、以来被相続人と特に親しくなつたところ、その後抗告人は、昭和一八・九年頃高知県に引き揚げ、ついで被相続人も戦後満州から高知市に引き揚げてきたが(被相続人の夫は右引き揚げ前の昭和二一年二月三日死亡)、右引き揚げ後も、抗告人と被相続人とは互いに親密な交際を続けていたこと、(3)ところで、昭和三一年一一月頃、被相続人の実母妙乃(昭和三九年四月二七日死亡)が柿の木から落ちて骨折したことなどから、当時高知県○○市内の精神病院である○○院に住込みの看護婦として勤めていた抗告人は、屡々被相続人方に赴き被相続人を助けて右妙乃の看護などをしたが、その後昭和三二年になつて被相続人が過労で倒れたため、被相続人の求めにより、同年一一月頃から被相続人方に転居して被相続人と同居するようになり、以来高知市内の被相続人方から高知県○○市の前記○○院に通勤して働きながら、その帰宅後可能な範囲で、とかく病気勝ちの被相続人およびその母妙乃の看護やその他同人らの身の廻りの世話をしていたこと、そして抗告人は、昭和四四年頃前記○○院をやめたが、その後も引き続き被相続人が死亡するまで被相続人方で同人と同居を続けて従前同様同人にとつて必要な世話をしていたこと、(4)もつとも、抗告人は、右の如く被相続人と同居するようになつてからも、昭和四二年頃までは、日常の食事を主として勤先の病院でとるなどして、その食生活を全く別にしていたし、また昭和四二年頃から被相続人と共同で炊事をして食事を共にするようになつてからも、その費用は互いに折半して負担するようにしていたこと、したがつて、被相続人の生活費は同人自らが負担しており、抗告人において格別被相続人の生活を経済的に援助していたようなことはなく、抗告人と被相続人との生活は、経済的には全く別個独立であつたこと、(5)つぎに、被相続人は昭和三七年一月頃脳溢血で倒れて入院したことがあつたが、抗告人は右被相続人の入院中は、病院に寝泊りをしてその看病をし、また退院後は半身が不自由となつた被相続人に対し、リハビリテーションの助言をし、またその他の健康管理についても看護婦としての知識と経験を生かして助言をし、かつ、必要な世話をするなどした結果、被相続人はその後次第に機能を回復したこと、ところが被相続人は、昭和四六年一月狭心症的発作で倒れ、同月二二日心不全により死亡したこと、そして右被相続人の葬儀は被相続人の遠縁の親族と抗告人らが行なつたこと。(6)つぎに、被相続人の遺産中、原審判添付別紙財産目録1の(1)および(3)ないし(6)の土地建物は、国鉄高知駅や高知市の繁華街から自動車で所要時間約一〇分程度の比較的近いところにある閉静な住宅街であつて、被相続人はその生前の昭和四三・四年頃、抗告人に対して右目録1の(1)の土地は三・三平方メートル当り約一五万円程度はすると話していたことがあり、その現在の総時価額は、数千万円であると推認されるし、また右目録1の(3)の建物も古いとはいえ相当に立派なもので、かなり価値のある建物であること、さらに右目録4の動産もその数は合計三六九点にものぼり、なかにはそれ程価値のないものもあるが、黒檀接客用机(動産目録一八九)、頼山陽の書額(動産目録三一四)、山内容堂の書額(動産目録三一六)、その他相当交換価値のあるものもあつて、その時価総額は、抗告人自身の見積りによるも金五・六〇万円を下らず、売却処分の方法如何によつては、それよりもはるかに高価に処分し得ること、なお、原審判添付別紙財産目録1の(4)の建物は昭和三六年頃被相続人の母が約金四〇万円の費用を投じて建築したものであるが、右建築に当り、抗告人は被相続人の求めにより金二〇万円は支出してその援助をしたし、また、被相続人が昭和四四・五年頃右目録1の(5)の物置等を建築した際にも抗告人が約金三〇万円は支出してその援助をしたこと、(なお、抗告人は、右金二〇万円につき、その後被相続人から返還してもらつたようには思わないが、返還してもらわないとも断言できない、と曖昧な供述はしている)以上の如き事実が認められる。

ところで、民法九五八条の三の提定に基づき相続財産を特別縁故者に分与するに当つては、被相続人と特別縁故者との縁故関係の厚薄、度合、特別縁故者の年齢、職業等や、相続財産の種類、数額、状況、所在等一切の事情を考慮して、右分与すべき財産の種類、数額等を決定すべきところ、前記認定の如き本件被相続人と抗告人との縁故関係、その同居期間、抗告人が病弱な被相続人の生活の面倒をみた度合、本件相続財産の種類、内容、その時価額等諸般の事情を総合して考えると、抗告人に対しては、本件相続財産のうち、原審判添付の別紙財産目録記載の2の有価証券、同3の現金および同4の動産全部を与えるのが相当であつて、その余の遺産はこれは与えないのが相当というべきである。

もつとも、抗告人は、原審判添付別紙財産目録1の(4)(5)の各建物の増改築等に合計金五〇万円は支出したことや、本件動産の価値が少ないこと、また、さらには、抗告人は被相続人と親族関係にはないが、被相続人に対しては親族にもまさる献身的尽力をしてその面倒はみてきたこと、抗告人は現在無収入で本件遺産全部の分与を受けなければその生活に困ること、抗告人は将来被相続人及びその祖先の祭祀を祭り、墳墓を守ることができること等種々の事情を述べて、本件相続財産は全部抗告人に分与さるべきであり、それが被相続人の意思にも合致すると主張するが、本件相続財産中、動産は前記のとおり合計三六九点にも及び、その時価相当額も合計金五、六〇万円は下らないのであつて、右動産と有価証券、現金の合計額は金一七〇万円は下ることはないし、また被相続人の生前中における抗告人の被相続人に対する日常生活その他に関する貢献の度合も、さきに認定した程度であつて、抗告人主張の如く大であつたと認め得る証拠はないし、さらに、被相続人がその生前中本件遺産全部を抗告人に与える意思があつたと推認し得る証拠はなく、却つて当審における抗告人審問の結果によれば被相続人には右抗告人主張のような意思はなかつたことが窺われるし、また、抗告人が現在その主張の如く無収入であること等は、本件遺産全部を抗告人に与える事由ともなり難いから、本件遺産全部を分与さるべきである旨の抗告人の主張は採用できない。

してみれば、本件相続財産のうち前述の有価証券、現金、動産を抗告人に分与する旨の原審判は相当であつて本件抗告は理由がないから、家事審判法七条非訟事件手続法二五条民事訴訟法四一四条三八四条によりこれを棄却することとする。

(裁判長裁判官 加藤龍雄 裁判官 後藤勇 小田原満知子)

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